カテゴリー「ミステリー」の記事

2010年12月12日 (日)

特殊な死亡例の数々

▼(1)

アメリカのカリフォルニア州に住むベティ・メントリーは、体重105kgほどある巨漢の母親である。ある日ベティは、自分の8歳になる息子・スティーブンが、6セントほど自分のサイフから盗んだのを目撃した。

また、それ以前にも危ない火遊びをしてスティーブンを一回叱ったこともあって、今日はちょっときついお仕置きをしてやろうと思い、スティーブンを床に寝かせ、その上にドカッと座り込んでしまった。

8歳の子供の身体の上に105kgの体重が乗られてはたまらない。スティーブは母親の身体の下で必死にもがいたが、脱出しきれず、そのまま動かなくなってしまった。

母親がやっとスティーブンの上から身体をどけたのは座り込んでから3時間後のことであった。だが母親がどいてもスティーブンはぴくりとも動かない。やっと事の重大さに気づいてすぐに病院に連れて行ったが、スティーブンはその時にはすでに死亡していた。


▼(2)

フランスで教師をしていた、ジュヌビエーブ・ブーローという女性が、ある日フランスの大西洋の海岸に観光旅行に出かけ、そこで溺死自殺をした。といっても海で溺れ死んだのではない。彼女の自殺は少し変わっていて、コップの水を使ったのだ。

コップに水を入れ、一杯・また一杯と延々と飲み続けた。死に至るまで飲み続けて最終的には水で呼吸困難におちいり、窒息状態となって絶命した。検死の結果、彼女の胃の中からは約30リットルの水が出てきたそうである。


▼(3)

1974年7月15日。アメリカのフロリダ州、ABC放送系列のサラソタ局では「サンコースト・ダイジェスト」というニュース番組が生放送されていた。画面はちょうど29歳の女性レポーターである、クリスティーヌ・チュバックがしゃべっている場面であった。

放送の途中、クリスティーヌは「ただいまから流血事件をカラー映像でお送りいたします。」といったかと思うと、ばにあった机の引出しをあけ、中から38口径のビストルを取り出した。

そして他の人があっと思う間もなく、そのままピストルを自分の頭につきつけ、引き金を引いたのだ。「バーン!」と、銃声が響き渡る。突然画面が消え、しばらくして映画番組に切り替わった。この時のテレビ局側の対応が、やらせではなく、本物の自殺であることを物語っていた。

後に分かったことだが、この放送中の自殺の前、彼女は知り合いに遺書を託していた。その遺書の中には自分の自殺劇のニュースの原稿も書かれていたのだ。

「クリスティーヌ・チュバック記者は15日の朝、ニュース番組を生放送中に、その番組の中でビストル自殺を図りました。クリスティーヌ記者は、すぐにサラソタ記念病院に運ばれましたが、意識不明の重態です。」と。

実際は重態ではなく、14時間後に死亡した。


▼(4)

1782年4月。イギリスのドルリー・レーンという劇場にオペラを見にきていたフィッツァー・パート夫人。その芝居の最中、とても面白い場面があり、観客は大爆笑だった。フィッツァー・パート夫人もみんなと同じく大笑いをしていた。

だが、第一幕が終わり、第ニ幕が始まってもフィッツァー夫人一人だけ笑いが止まらない。あれからずっと笑いっぱなしになってしまったのだ。このままでは他の観客に迷惑がかかるということで、劇場を出ざるを得なかった。

この芝居を見たのが水曜日。それから家に帰ったが、なんと金曜日まで笑いが止まらず笑いっぱなしであったそしてとうとうそのまま死亡してしまったのだ。イギリスの雑誌にも紹介されたこの事件。笑いすぎは死に至る。


▼(5)

フランスのパリで、若いころにモデルとして活躍していたマルセル・ピション。だが64歳となった今は、彼女は若い頃とはうって変わって極貧の中で暮らしていた。

電気・ガス・水道も止められ、その日の食べ物を買う金もない。どうにもならなくなったピションは、住んでいたアパートの一室で覚悟を決めた。このまま何も口にせずに・・口にしないというよりも、貧しくて何も食べられなくなってしまったのだが・・もう、このまま死んでしまおうと考えたのだ。

1985年8月。ピションは変わり果てた姿で発見された。検死の結果、死後10ヶ月ということだった。だがおかしなことに遺体は腐った様子がない。普通だったら10ヶ月も経てば腐乱しているものである。

更に検死の結果分かったことだが、何も食べられなくなって絶食状態になってからも、彼女は1ヶ月は生きていたらしいのである。その1ヶ月の間にほとんど骨と皮だけの状態になり、自然に出来たミイラのような感じになったため、遺体が腐乱しなかったということである。


▼(6)

新妻であるシンシアは、ある夜、夫のブライアンと激しくSEXをしていた。だが、突然夫のほうからパチン!という音が聞こえてきて、次の瞬間夫は痙攣(けいれん)しながらその場に倒れてしまった。

びっくりするシンシア。すぐに救急車を呼んで夫を病院に運んだが、すでに夫の心臓は停止していた。「自分が夫を殺した」という自責の念でシンシアは当分立ち直れなかった。心臓停止の直接の原因は感電であった。

シンシアは元々静電気を帯びやすい体質で、時々彼女が触れただけで掃除機やトースターなどが電源が切れたり壊れたりしていたのだ。結婚前からそれが不安で、SEXをしている最中、夫に電気が伝わるのではないかという不安は常に持ちつづけていたという。だが、その予感が最悪の形となって現れてしまったのだ。


引用元  怪事件・怪人物

よろしければこちら↓をクリックしてもらえると励みになります。

にほんブログ村 ニュースブログ 面白ニュースへ
にほんブログ村

2010年11月17日 (水)

死亡した人間が蘇生する

いったん死んだ人間が生き返るということは、昔から世界中で起こっていることである。

一般的に死んだ人間が蘇生する可能性があるのは、死んでから8分以内だと言われている。が・・世の中にはその時間を大幅にオーバーしながらも息を吹き返した人がいるのも事実である。

例えば1966年、アメリカのコネチカット州で、アンチ・ムーアという42歳の女性が心臓病で死に、土葬という形で墓に埋葬されたが、3日後に墓の中から奇怪な叫び声が上がっていたので墓を掘り起こしてみると、彼女は棺の中で生き返っていた。


また、1968年、イギリスのアーノルド・サイクスという男性は心臓発作で死んだが、14時間後に生き返り、イギリス中の注目を集めたという。

1866年、ニューヨーク・ブロンクス市立病院で死を宣告されたモーティ・ファンチャーは、その時、臨終状態で・・瞳孔が完全に開き、脈拍もほとんどなく、体温も極度に低下している状態で、普通だったら完全に1分以内に死ぬ状況だったが、そのままの状態でかすかな呼吸を続け、なんと9年間、食事も排泄もせず生き続け、1875年に蘇生している。


また、カナダのトロントの病理学者のジョン・ラルーが、オンタリオ州の数百の墓を掘り起こし、死体が埋葬された後の状態を調査したことがあった。

そしてそれぞれの棺を開けてみると、実に奇怪なことに20体に1体の割合で、死体の向きが変わっていたり、外に出ようと必死にもがいた形跡があったり、手を頭の上に持っていっている死体があったという。

これは、20人に一人の割合で、墓の中で生き返ったということを如実に証明していると言えるのではないだろうか。

引用元 世界の怪事件・怪人物

よろしければこちら↓をクリックしてもらえると励みになります。

にほんブログ村 ニュースブログ 面白ニュースへ
にほんブログ村

2010年11月10日 (水)

6年間密室に閉じこめられていた、戦時中の不幸な事故

第二次世界大戦も終盤に近づいた1944年6月、ヒトラー率いるドイツ軍は、フランスの大西洋海岸・ノルマンディー地域の海岸線の防備を固めていた。ヒトラーはそれまで陸路も空路も完全に遮断していたので、連合軍が乗り込んでくるとすればノルマンディー海岸しかないと読んでいたのだ。

海岸線防備にはロンメル将軍があたり、まず海岸線の一帯に鉄条網を張り巡らし、地雷も莫大な数を砂の中に埋め込んだ。そして海岸には沿岸砲を並べ、海上には機雷を浮かべ、更に海の中には障害物をいくつも配置した。



そして更に、海岸の近くには、厚さ2ートルの壁で作られたブロックハウスをずらりと建築した。このブロックハウスは、縦が5メートルから6メートル、横は4メートルくらいで、もし海岸近くで戦闘になった場合には、全員がこのブロックハウスに立てこもり、最後の一兵までもが戦い抜くつもりだったのである。

だがこうした情報は、連合軍側が事前に察知し、空挺師団が空からパラシュートを使って次々降下し、敵地に攻撃をしかけていったのである。虚をつかれたドイツ軍はたちまち大混乱に陥り、そのスキをついて海からも連合軍は上陸し始め、大量の兵士や車両、補給物資などが運び込まれた。ノルマンディーの戦いは連合軍側の圧倒的な勝利に終わったのである。


そしてその戦いから6年が過ぎた。戦争の傷跡もだんだんと癒えたころである。だがノルマンディーの戦闘の際に作られたブロックハウスは今だにその姿形を残していた。なにしろ厚さ2メートルの壁で作られたものだから、そう簡単に壊れるものではない。

これらを撤去しようと思うのならば、一つ一つ爆破していくぐらいしか手がない。そんなある日、海岸線に近いブドウ畑にあるブロックハウスを撤去しようと、この地に政府から役人が訪れた。

ブドウ畑に建設されたブロックハウスは、戦争の時に爆撃されたせいと6年間の歳月の間に半分くらいが土の中に埋もれてた。このままではどうしようもないから、まずこのブロックハウスのまわりの土をどけて、その上で爆破しようということになった。

そしてまわりの土を取り除いていると、突然ブロックハウスの壁の一部が崩れ落ちてしまった。つまり壁の一部に穴があいてしまったのだ。そしてそのあいた穴から、つんとするような匂いが立ちこめてきた。


何かが腐ったような匂いではなく、何か生き物特有の・・いかにも中に生物がいるかのような・・そんな匂いだった。
「まさか中に生き物がいるわけがない・・。ブロックハウスは6年間、完全に外の世界と遮断されていたのだ。仮に6年前に人間がここに閉じ込められていたとしても、もう生きているわけがない・・。」

そう思いながらも政府の役人は、あいた穴から中を覗き込んでみた。すると・・・中で何かうごめく者がいる。よく見ると、明らかに人間である。

「生きた人間がいるぞ!」役人は叫んだ。すぐに壊れた壁の部分をさらに拡大して、中の人間を救出すべく、役人と作業員がブロックハウスの中に入って行った。確かに生きた人間はこの中にいた。それも二人。だが、床にはミイラ化した4体の死体もそこにはあった。


だが、それぞれがもう、まともな人間ではなくなっていた。生きていたとはいえ、二人ともほとんど言葉も喋れず多少動き回るだけで、ほとんど人間らしさを失った状態になっていた。

しばらくするとそのうちの一人がかすかに正気を保っていたので、話を聞くことが出来た。事情を聴いてみると、その6人はブロックハウスを建設するために集められた土木作業員である。

彼らが作業をしていると突然戦闘が始まり、びっくりしてこの中に隠れたらしい。そしてこの中でしばらくじっとしていたら、辺りが静かになったので、闘いは終わったものだと思って外に出ようとした。ところが扉がビクともしない。

爆撃されたために周りの土がブロックハウスに覆いかぶさり、扉を外から塞いでしまったようなのだ。
6人がかりで大声で助けを求めるが、誰も気づいてはくれない。幸いにもここは倉庫だったらしく、小麦粉や缶詰、ロウソクやマッチ、そして米などが莫大な量、蓄えられていた。


彼らはロースクの火で小麦粉を焼いてパンのようなものを作り、それを主な食物としてずっとここで生活していたというのだ。上からわずかに光が差し込んでいたために失明は免れたものの、そのうちだんだんと皆、喋らなくなり、大脳の働きも衰え、動くこともほとんどなくなった。

そのうち1年2年と経つうちに、体力の弱った者から死んでいき、閉じ込められていた6年間に4人の人間が死んでいった。

助けだされた2人であったが、1人は完全に脳に変調をきたし、病院に運ばれて手当てを受けたが、回復することはなかった。
そしてかすかに正気を保っていた、もう1人も、それからほどなくして死亡してしまった。

厚さ2メートルの壁で完全に外の世界と遮断され、すぐ横を人が通りかかっても全く気づいてもらえなかったブロックハウス・・・。
脱出不可能な状態での6年間、彼らは何を思い、そして死んでいったのだろうか。

引用元 怪事件・怪人物

よろしければこちら↓をクリックしてもらえると励みになります。

にほんブログ村 ニュースブログ 面白ニュースへ
にほんブログ村

2010年10月18日 (月)

64年間漂流した後に生き返った死体

葬式。祭壇の棺を見つめる参列者たち。親しくしていた人たちの心に去来する思い出が、寂しさを一層強くする。その時、棺が微かな音を立てた。まさか。そう思う間もなく、棺がカタンと揺れると同時に、死んだはずの故人がムックリ起き上がった。

 この手の話は、現実に幾つも起きている。最近では葬儀のあり方も多様化し、息を吹き返した場所が葬儀場である保証は無い。もし、そこがバミューダ海域だったら?
 死人が生き返る。それだけでも奇妙な出来事なのに、更に、奇妙な事態となるようだ。

 1990年2月。操業中の一隻の漁船の元に、白く大きな布袋が流されてきた。引き上げて開けてみると、中から60歳過ぎくらいのやつれた男性の死体が出てきた。船員たちの好奇心が悲痛な感情へと転換した、その時、死体だと思っていた男性が叫んだ。「ここは、どこだ!?」目まぐるしく変化する感情。今度は驚愕する船員たちが聞いた事情とは。
 男性の名はミッシェル・ガヤン。フランスからバミューダへ移住してきた。しかし、がんに侵された彼は、1926年、水葬にして欲しいとの遺言を残し、63歳で死んだというもの。
 船員達はそんな話を信じられるはずもなく、どれくらいの時間かはわからないが、袋詰めで海を漂流していたのだ。精神に異常をきたしてしまっていても不思議はない。衰弱しているだろうし、健康状態も診て貰った方がいいと、病院へ連れて行った。そこは彼が最後の時を迎えた病院だった。病院には彼のカルテが残っていて、1926年にがんで死亡したという記録があり、遺体は遺言通り布でくるみ海へ流したことも確認された。更に、死亡証明書の指紋との照合も一致し、間違いなく同一人物とされた。
 先述したように、葬儀中に死人が生き返ったという事象は起きている。ミッシェル・ガヤンは遺言通り水葬にされたため、海で息を吹き返してしまった。しかし稀に起き得る事象として片付けられないのは、それが64年後に起きたということだ。それだけではない。生き返ったミッシェル・ガヤンは、本来なら127歳であるはずが、死亡したとされる63歳のままなのだ。彼の身に何が起こったのかはわからない。そこがバミューダ海域であることに意味があるのだろうか。

引用元 リアルライブ

よろしければ応援(クリック)お願いします☆⇒ にほんブログ村 ニュースブログ 面白ニュースへ
にほんブログ村

2010年10月14日 (木)

ヨーロッパで行なわれた「魔女狩り」の実体

14世紀から17世紀末にかけてのほぼ4世紀に渡って、ヨーロッパ全土では、キリスト教会による徹底した「魔女狩り」が行われた。魔女といってもテレビに出てくるような、魔法を使う人間などいるはずもないが、当時は悪魔や魔女が存在すると信じられていた時代であったから、そのような濡れ衣を着せられて処刑された人間は数十万人(一説では数百万人)にも上るという。

魔女として摘発を受けたのは、ほとんどの場合年老いた女性であるが、中には男性が含まれる場合もあった。また、魔女狩りが徹底して行われていた時代では、あらゆる事柄がその告発の理由となった。

大雨や地震も魔女が妖術を使ったせいだとされ、母親の母乳が出なくなった、家族の誰かが病気になった、怪我をした・・これらのことも近所に魔女がいるに違いないとされたのである。

また、気に入らない人間がいれば何らかの理由をつけては「あれは魔女だ」と密告された。例えば台所の窓から料理を作っている煙がもれていると「魔女が毒薬を作っている。」ということになり、猫を飼っていると「動物を僕(しもべ)として黒魔術を行っている。」と噂され、密告を恐れて人のいない山奥へ引っ越すと「毎晩悪魔を呼んで邪悪な儀式を行うために、人のいないところへ引っ越したのだ。」と言われた。

このような通報があれば、すぐに逮捕され、牢に入れられた。現代のように弁護士がついたり、本人の発言を聞いたりなどということは有り得ず、疑われた時点で逮捕・処刑となったのである。

大々的に行われた魔女狩りではあるが、これが全ヨーロッパにまで拡大したのは、そこにマニュアル本が存在していたという理由が大きい。「魔女の鎚(つち)」というタイトルのこの本は、ドイツの神父ハインリヒ・クレーマーとヨハン・シュプレンガーの2人によって1484年に執筆が開始された。

そこには魔女の生活ぶり、使う魔術などが詳しく記載され、さらには逮捕・拷問・処刑の方法なども書かれ、魔女狩りに関する完全なマニュアル本となっていた。そしてその本の中で「伝染病や自然災害、あるいは個々の人間に起こる不幸など、およそ世の中の全ての不幸は魔女の仕業である」と断定してあったのだ。

この本が出版されたことで魔女狩りは一気に拡大した。「魔女の鎚(つち)」は、間もなく各国語に翻訳され、この本はヨーロッパ全土に広まり、更に発見されたばかりのアメリカにも渡り、アメリカでも魔女狩りが行われるようになった。

具体的な拷問の方法としては、魔女として逮捕された者は、まず身体検査を受ける。そして身体のどこかにアザがあれば、そこを針でつついて血が出るかどうかを調べられる。血が出なければ、このアザが悪魔の紋章、すなわち魔女の証拠ということになり、裁判でも100%有罪の判決が降りて処刑される。

また証拠がない者については徹底した拷問が行われ、自分が魔女だと自白するまで痛めつけられた。

拷問の最初は、まず裸にして全身の毛を剃(そ)り、縄で身体を縛った上でムチで叩きのめす。そしてペンチで指を絞めあげ、身体に熱く焼けた焼きゴテを押しつける。この時点で魔女だと認めなければ、更に次の段階に移る。

身体をハシゴに縛りつけて手足を四方に引っ張り、手足の間接を全てはずす。裸のまま何時間も天井から吊るしたり、手足の指を切断する。あるいは真っ赤に焼けた鉄製の靴を素足にはかせる。熱く焼けたペンチで身体中の皮膚をはがしたりもした。

また、鋭いクギが突き出た鞍場(あんば)にまたがらせたり、同じくクギが突き出た鉄仮面をかぶらせたりといった拷問方法もあった。

これらの苦しみから逃れるには「自分は魔女です」と自白するしかなかった。そしていったん認めてしまうと100%死刑にされた。死刑の方法で一番多かったのは火あぶりの計だったが、見せしめのため、多くの人の目の前で行われのるが一般的であった。

また、八つ裂きにされたり、全裸のまま手足を縛られて川に投げ捨てられたり、飢えた犬に襲わせるという処刑の方法もあった。

魔女として逮捕された者は処刑される前に全財産没収ということにもなっており、教会側は、この没収した財産を魔女狩りの経費に当てていた。まさにこの時代のヨーロッパの女性にとっては、地獄そのものの時代だったのである。

引用元 世界の怪事件・怪人物

よろしければ応援(クリック)お願いします☆⇒ にほんブログ村 ニュースブログ 面白ニュースへ
にほんブログ村

2010年10月12日 (火)

ロシアで発見れた超極小の金属部品 オーパーツ

138gokusyou01 1991年、ロシアのウラル山脈の東側を流れるナラダ川の流域で、この辺りの金鉱で働いている労働者たちが土を掘っていると、その中に小さな機械の部品が大量に埋もれているのを発見した。

発見された部品たちはコイル状になっているものや金属棒にコイルを巻きつけてあるもの、長方形のものや輪になっているものなど形は様々であり、奇妙なものだったので、掘り出されたものは順次保管して調査してもらうこととなった。

これらの部品は、2年後の1993年までに数千個のものが掘り出されている。部品はどれも小さなものばかりで、大きいものでも3cm程度、最小のものは3ミクロン(0.003mm)という極小サイズだった。

大きな部品はほとんどが銅で作られており、小さな部品はタングステンやモリブデンで作られていた。更に年代測定をしてみたところ、2万年前から31万8000年前に作られたものであるという結果が出た。

その時代、地球上では人類の祖先は生まれているものの、まだネアンデルタール人やクロマニヨン人の時代であり、彼らにそのような文明があるはずもない。

部品たちが発見されたのは地表から3メートルから12メートルのあたりの深さのところで、この辺りの地層は約10万年前に土砂が堆積(たいせき)した地層であって、最近誰かが埋めたとものという可能性は極めて低い。

数千度でなければ融解しないタングステンやモリブデンを加工してこのような超極小部品を作ることは極めて高度な技術であり、当時の人類が作ったものではないことは明らかだ。

調査を担当したロシア科学アカデミーの貴金属地質探査科学研究センターは、その報告書の中で地球外生命体の存在を強く示している。異星人の存在なくしてはこの部品たちの説明がつかないのである。

引用元  世界の怪事件・怪人物

よろしければ応援(クリック)お願いします☆⇒ にほんブログ村 ニュースブログ 面白ニュースへ
にほんブログ村

無料ブログはココログ